文政元年・創業「和泉庄」

信州の穏やかな城下町・飯田にて、和漢砂糖・諸国銘茶・畳表類・西洋物類・石油生掛等を取り扱っていた、砂糖荒物商・和泉屋(飯田松尾町)と、精製菓子類・和漢砂糖・各国銘茶等を取り扱っていた、御菓子司・和泉屋(飯田堀端角)。それぞれの商いの時代を経て、文政元年(1818年)和泉屋庄三郎により菓子処「和泉庄」(いづしょう)は創業しました。

江戸の頃には、飯田城主御用達の菓子舗としての誉を頂き、明治期より飯田を代表する文化著名人とのご縁の数々を預かりました。時代を彩り、人々の縁となった菓子の数々は、数多の歴史と共に代々受け継がれ、現在に至ります。

数ある生菓子の中で「名代大きんつば」は、初代庄三郎より数えて現在8代目により“一子相伝”の手造りの味を守りつくり続けている、和泉庄を代表する銘菓です。江戸の頃に広く商家や庶民の間に普及した生菓子は山城の地であった飯田にも伝わり、その中で和泉庄は、当時大変貴重であった小豆餡を炊き直し、また焼き直して、今日のきんつばの原形を作り上げてきました。小豆本来の旨みを出すため、甘さを控え目に工夫したその味わいは、永く評判を頂いております。

アーカイブ

昭和34年8月8日発行の「飯田の商勢三百年」(信濃郷土出版社)に次のような記述がある。

天保九年六月廿五日には「高価の菓子料理等の販売を禁止する」厳達が出て当時の倹約令が想像される。文献としては以上の外に一寸見付からないが、由来城主には御用菓子司というのが指定されていた。当時は、一、松月庵和泉庄(松一) 二、松老軒(本町) 三、大丸屋(伝二) 四、丸屋(新町)等数軒であった。

天保9年(1838年)は和泉庄が創業20年を迎えた頃で、当時は御用菓子司として主に4軒の菓子舗があったとされるが、現存するのは和泉庄のみである。時の飯田城主は、第10代信濃飯田藩主・堀 親寚(ちかしげ)であった。親寚は江戸幕府にて奏者番、寺社奉行、若年寄、老中(「天保の改革」期)などを歴任。「堀の八方睨み」と称される、目から鼻に抜けるような人物であった。

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